WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
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かっこちゃんのメルマガ
かっこちゃんこと山元加津子さんのメルマガ
「宮ぷー こころの架橋プロジェクト」に
太の日記の一部が載りました。
かっこちゃんは、石川県の特別支援学校の傍ら、
講演活動や作家活動をされていている方です。
私がかっこちゃんを知ったのは、
ニセコの友達のケンとミウラから誘われて、
「1/4の奇跡」というかっこちゃんが出演している
ドキュメンタリー映画を太と4人で見たことが、
きっかけでした。
縁がつながり、かっこちゃんは
私と太にとってとても大事な友達になりました。
かっこちゃんが伝えてくれることには、
大切なことがいつもいっぱいつまっています。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
第2870号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                   2017年6月15日現在 参加者人数6297人
      
このメルマガを初めて読まれる方へ 
メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。

http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
大阪のくにちゃんからいただいた自然栽培の甘夏の種を植木鉢に蒔きました。ニュー
ヨークのせんこちゃんのお台所のレモンの鉢がとても見事になっていて、せんこちゃ
んは「たべた果実の種はみんな植えるの」と言っていたことを思い出して、蒔いたの
です。毎朝のぞいていて、一月経って、北海道から帰って来たら、芽が出ていました。
なんて可愛い芽。うれしいです。上野のパンダのあかちゃんも生まれて、一緒に大き
くなあれと思います。
宮ぷーの家の庭の草が大変なことになっています。もう草ぼうぼう。これまではわた
しもときどき早く来て、草取りをしたりしていたのですが、今年はバリ島へ行ったり、
ニューヨークへ行ったりしているあいだにも、どんどん伸びて、もう大変なことにな
りました。
それで、昨日は、お友達がたくさん来てくださって、草刈りをしました。育てるみか
んと、刈ってしまう草。本当は草にもいっぱい虫が住んでいて、素敵な世界がそこに
はあるのだけど、堪忍してくださいね。

わたしがひっそりと、何度も何度も昔へ遡っては読んでいるブログがあります。
北海道のひろみちゃんの日記。亡くなられた太くんのことが書かれてあります。
WINDVANE
http://hiromiwindvane.blog116.fc2.com
ひろみちゃんがメールをくださいました。
(メールここから)・・・・
かっこちゃん
先日は元気なかっこちゃんに会えて本当に嬉しかった。
かっこちゃんの顔見た瞬間、
私もグッと想いがこみ上げてきちゃってたよ。
去年よりなにか吹っ切れた感じがして、頼もしく感じたな。
指談もできる人が増えてきてるのは素晴らしいね。
時代が後からきっとついてくるよ。
ニューヨークでの不思議な体験も、さもありなん!
少し前に、太の日記がでてきたの。
亡くなった後一度は読んでたとは思うんだけど、
なんだか胸に響いたので送るね。
早くまた会いたいなあ笑
-- ---- 
「太の日記から」
色々な人たちが気遣ってくれているということを知るだけで、
確実に良い力をもらえている事は間違いない。
これは全く科学的に立証されないのかもしれないけれど確かにある。
「奇跡のりんご」という本を病室で読んだ。
その中の一節。
無農薬でりんごを作るという大それたことを目指しているおじさんの
りんごの木は毎年毎年虫に喰われて葉っぱがほとんどなくなってしまうような状態で、
りんごなんて一つもならない年を何年も過ごしていた。
おじさんはあきらめなかった。
虫取りが終わる夕方におじさんは一本一本のりんごの木にまるで人に話しかけるよう
に話していたらしい。内容は、ひどい状態にしてしまった事を一本一本に謝っていた
という。
はたから見れば気でもふれたようにしか見えないので、さすがのおじさんも隣の畑と
の境にあるりんごの木にだけは話しかけるのをしなかったらしい。
そして、話しかけていた木たちはその後何年もかけて元気を回復したけれど、
声をかけなかった木たちは見事に全滅してしまったらしい。
りんごの木に起きていることが普段から人々のなかにも起きている。
今まで気づかなかったけど、病気になってからは実感できる。
りんごの木に起きたことが今俺に起きている。
身体の中に必ず変化を生んでいると思う。
気にかけてもらえるということは、
必要とされていること。
それが生きる力を生んでいるということ。
今まで気づかなかった。実感できなかった。失敗した。たくさん失敗してるけど、本
当に失敗した。
ゴンさんという友達がいた。
交通事故で植物状態になってしまった。
14、5年その状態が続いた。その後逝った。
俺は一度も会いにいくことはなかった。
積極的に気遣うことをしなかった。するべきだった。
失敗した。わからなかった。
こんな重要な事だなんて、こんなに効果的な事だなんて全くわかってなかった。
俺は人とそういう付き合いしかしてこなかった。
・・・・
気にかける、思いやるというのは、
その人を元気にすることだ。
その人を楽しくすることだ。
その人は幸せになるんだ。
これは重要なことだ。
手紙でも電話でもメールでもなんでもいいね。
話しかけられなかったリンゴの木は、根が弱ったり、腐ったり、
いろんな病気になったりして死んでしまった。
きっと木たちもおじさんに話しかけていたのかもしれない。
助けを求めていたのかもしれない。
俺が何故人に対してそうなのかということは考えるのはやめよう。
それよりも変わる手立てを考えよう。
何故俺が病気になったのかということは、
何故人は病気になるのかというところに行き着いた。
(メールここまで)・・・・
ブログを読んでいても、今日日記を読ませていただいても、優しい太さんの気持ちが
心の中にふんわりとずっといてくれるような気がします。人はいつか亡くなってしま
うけど、でも、亡くなってそこで命は決して終わりではないといつも思います。きっ
と太さんがおっしゃるように、たくさんの方のことをお空で想ってくださっているに
違いありません。命に心を寄せてくださっていることでしょう。
かつこ
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このメルマガは脳幹出血で倒れ、これまでの医学の常識では再起不能と思われていた
宮ぷーの病院での毎日を、親友の山元加津子が綴った日記からその一部を配信してい
ます。宮ぷーの願いは自分の経験を通して意思伝達装置のこと、リハビリのやり方を
工夫することで回復していくことをみんなにお知らせすること。その願いの実現に近
づくようにこのメルマガを広めることにお力を貸して下さい。お友達に転送お願いし
ます。詳しいことは、こちらのページをお読みください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
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宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
おはなしだいすき http://ohanashi-daisuki.com/
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「ささはらさんを偲ぶ」
ニセコの太朗くんの電話で私たちの隣に住んでいたささはらさんが亡くなったことを知った。
ちょうど今日が出棺だったという。樺山分校のみんなで見送ったそうだ。

BUBUちゃんが描いたニセコの家の絵が突然届いたのは、
ささはらさんともつながっている気がした。

ちょっと不愛想で、味のある黒いジープに乗って、カメラが好きで、ジーパンが似合うささはらさんは
、私たちの家のすぐそばの樺山分校の用務員さんをしていて、一人で暮らしていた。
いろんな鳥がやってきていたささはらさんの家には、子どもたちもよく遊びにきていた。
樺山分校というのは、私たちが住んでいた頃は生徒10数人の複式学級で、
創立100年以上になる木造校舎の小さな山の小学校だ。
ささはらさんもうちもその樺山小の教職員住宅に住んでいた。
先生たちは古い教職員住宅に住むことはなかったので、長い間空き家になっていた。
荒れ放題になっていたところを、
太は、断熱材をいれ、畳を変え、壁を塗り手直しをたくさんして住めるようにしたらしい。
家の横に丸太を積んで作った物置は、
ささはらさんに丸太をもらって、教えてもらいながら作ったと言っていた。
ちなみに、その教職員住宅は町営になるのだけれど、なんと家賃8500円。
まわりの友達からは「平成の値段じゃないよね!」って言われていたけど、昭和でもなさそう。(笑)
そういえば、玄関や台所についていた扉のガラス模様は昭和の懐かしい柄だった。
実は太の家を最初に見たときは、けっこう驚いた。
トイレもくみ取りだったので、最初なかなか慣れず、
車で5分のコンビニまで用を足しに行っていたのも今では懐かしい思い出だ。

田舎暮らしのイロハを、太とささはらさんから私はずいぶん教えてもらった。
田舎で暮らすには、学力じゃなくて人間力が必要だってつくづく感じたものだ。
私が思う人間力って、車の修理ができたり、機械に強かったり
、野菜の作り方を知っていたり、野草や山菜に詳しかったり、
生活していく中で必要な知恵をもっていること。
東京っ子の太が、豪雪地帯のニセコで暮らし始めたときに、
お隣がささはらさんだったことはきっと幸運以外のなにものでもなかっただろう。
そして、二人はけっこうウマが合っていたんじゃないかと思う。

太は、家の前の道路に外灯がつけられそうになった時に
「月や星の明かりがあるんだから外灯はいらない。」って
ささはらさんと阻止したんだと言っていた。
私は、暗い夜道には外灯があったほうがいいだろうと思いこんでいたので、
その話を聞いたときに驚いたことを覚えている。
でもそこに住むうちに、太とささはらさんが言った意味がわかっていった。

ささはらさんを思い出すと太もセットで浮かんでくる。
うちの前には小川があって、釣り人がちょくちょくやってきていた。
私にはよくわからなかったのだけれど、イワナが釣れたりするようで、
釣り仲間の中ではたぶんちょっとした場所なんだと思う。
ここは秘密の釣り場でもあり、夏には子供たちの遊び場にもなる。
ささはらさんは、よく子供たちをこの川で遊ばせていた。
土管の中を、浮き輪をお尻に敷いて、すべり台のようにして遊ぶのだ。

ある夏の日、「太君、川底にガラスとか落ちてないか見てもらえないかい?」とささはらさんに頼まれた。
太は、水中メガネをして、サーフィン用のウエットスーツを着て、川に潜った。
丁寧にみたようだが、危ないものは何も落ちてなかった。
川からあがると、ささはらさんは、「ありがとう」、と、缶ビール2本をくれた。
太がウエットスーツのまま縁側に座り、
冷たいビールをグビグビっとおいしそうに飲む姿を
ささはらさんが嬉しそうにみていた顔が今でもありありと浮かぶ。

私たちが住んでいた家は、
私たちが札幌に引っ越した後すぐに取り壊されて更地になった。
ニセコに行くたびに、更地になった場所をみてはもの悲しく思っていたけれど、
ささはらさんの家があることで、太と自分とがいた痕跡を感じることができていた。
でも、そのささはらさんも旅立った。
私の中でなにかのサイクルが終わりを告げた気がした。

ささはらさんの家で、鉄瓶でわかしたお湯でいれてもらったお茶はいつもとても美味しかった。

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2017/03/05(日) 13:24:40 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
ニセコでの暮らし
ニセコに遊びに来たことがあるBUBUちゃんから手紙が届いた。
中を開けた瞬間、思いもしなかった絵が飛び出してきたので
本当に驚いた。そして、それと同時に、涙が勝手に溢れてきた。

あの絵の私たちは幸せそう。もうこの家もないし、太もいない。

たしかにあのときは、当たり前としか感じていなかったことが
振り返ってみたらどれだけ幸せな時間だったか、って思う。

いまなんでこのタイミングで?って思ったけど、
太がBUBUちゃんにやっぱり描かせたんだろうなあ(笑)

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dancyu2月号「バーはあったかい」
今月号のdancyu の表紙を撮影しています。
ニセコのバー『ギュータス』です。

12月のあの大雪の日に札幌からニセコへ。
泣きべそをかきながらハンドルを握りました。
雪が積もるのをギリギリまで待っての撮影でした。
dancyu編集部の念の強さおそるべし!(笑)
ずいぶん昔に太と行ったことのある
ギュータスは、とっても素敵なバーに変身していました。

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2017/01/10(火) 20:49:57 | 写真 | Trackback(-) | Comment(-)
「天国いる夫たちの計らい?」
「天国いる夫たちの計らい?」

去年のとある秋のこと。
余市にりんごの写真を撮りに友達と行きました。
時間も早かったので、ニセコでお昼ごはんを食べてから、
札幌に戻ろうと5号線を走らせていたところ、
国富の交差点で,間違って岩内方向へ行ってしまいました。

岩内に行くのは、いったい何年ぶりだろうかと思いながら、
町に入っていくと、
懐かしいお店が目に飛び込んできたので、
車をとめて思わず立ち寄りました。

そこは、
帆布のバッグや皮製品を職人さんが手作りで作っていて、
以前太が、オリジナルでノミをいれる皮のケースを
お願いしたので、何度か通ったお店でした。

お店の中は、商品もきれいに並べられていて、
以前の工房という感じからは、
すこしあかぬけた雰囲気になっていました。

職人さんの奥さんかな?、と思われる女性が
コーヒーを運んできてくださったので、
「以前お世話になったことがあったんです。」、
と、言うと、

その女性は、
「主人は亡くなったんですよ。」、
と寂しそうにおっしゃったのです。

思いもかけない言葉がかえってきたので、
私は本当に驚いてしまいました。

「実は、夫がこちらで、
オリジナルで、皮のノミのケースを作っていただいたんですが、
私の夫も、2011年に血液のガンで亡くなったんですよ。」、
と言うと、
その女性も驚かれて、そこから、距離がぐっと縮まり、
関をきったように二人で一気に話すことになりました。

偶然は重なり、
職人のだんなさんも白血病だったそうで、
太と同じ血液のガン、
札幌の私の家のすぐ近くの病院に入院されていて、
なんと、4月30日の命日まで一緒だったのです!!
亡くなったのは、太の翌年の2012年だったそうですが。

こんなことってあるのかと二人で目を丸くしました。

「主人は、近所の人の夢には出てくるみたいなのに、
私の夢の中にはでてこないのよ。」、と
涙をぽろぽろ流されながら、話されるので、奥さんは、
まだまだ悲しみの中にいらっしゃることがわかりました。

「想いが強すぎると、夢に出ずらいみたいですよ。
私もそうでした。全然夢にでてきてくれませんでした。
だから、周りのひとの夢にでて、一生懸命こっちに
メッセージを伝えてくれようとしてるみたいですよ。」

「いつも一緒にいらっしゃいますから、
見えなくても今までみたいにいっぱい話しかけるといいですよ。
ちゃんと応えてくれますよ。」

「あちらは、いつもこちらを全力でサポートしたいと
思ってるみたいですから、どんどんお願い事して大丈夫ですよ。

天気とかわかりやすいから、試してみるといいですよ。
私なんて、
吹雪の日にどうしても車ででかけなきゃいけないときに、
「太、晴らせて!」て頼むと、
ちゃんと運転しないといけないときだけ、
雪をやませてくれたりするんですよ。」、とか。

私が今までに気づいたことを、
できるだけいっぱい伝えました。

奥さんの方が、私よりも年上でしたが、
亡くなった年数では私が一年先輩。

偶然岩内にいってしまったようだったけれど、
私たちのこの出会いは、
上にいる夫たちの計らいだったように思えました。

というか、きっとそうだったんだと思います。
帰り道に、
泣いてばかりいた自分が
奥さんを一生懸命、励ましていたことに
ふと気づいて可笑しくなりました。

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