WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
「ささはらさんを偲ぶ」
ニセコの太朗くんの電話で私たちの隣に住んでいたささはらさんが亡くなったことを知った。
ちょうど今日が出棺だったという。樺山分校のみんなで見送ったそうだ。

BUBUちゃんが描いたニセコの家の絵が突然届いたのは、
ささはらさんともつながっている気がした。

ちょっと不愛想で、味のある黒いジープに乗って、カメラが好きで、ジーパンが似合うささはらさんは
、私たちの家のすぐそばの樺山分校の用務員さんをしていて、一人で暮らしていた。
いろんな鳥がやってきていたささはらさんの家には、子どもたちもよく遊びにきていた。
樺山分校というのは、私たちが住んでいた頃は生徒10数人の複式学級で、
創立100年以上になる木造校舎の小さな山の小学校だ。
ささはらさんもうちもその樺山小の教職員住宅に住んでいた。
先生たちは古い教職員住宅に住むことはなかったので、長い間空き家になっていた。
荒れ放題になっていたところを、
太は、断熱材をいれ、畳を変え、壁を塗り手直しをたくさんして住めるようにしたらしい。
家の横に丸太を積んで作った物置は、
ささはらさんに丸太をもらって、教えてもらいながら作ったと言っていた。
ちなみに、その教職員住宅は町営になるのだけれど、なんと家賃8500円。
まわりの友達からは「平成の値段じゃないよね!」って言われていたけど、昭和でもなさそう。(笑)
そういえば、玄関や台所についていた扉のガラス模様は昭和の懐かしい柄だった。
実は太の家を最初に見たときは、けっこう驚いた。
トイレもくみ取りだったので、最初なかなか慣れず、
車で5分のコンビニまで用を足しに行っていたのも今では懐かしい思い出だ。

田舎暮らしのイロハを、太とささはらさんから私はずいぶん教えてもらった。
田舎で暮らすには、学力じゃなくて人間力が必要だってつくづく感じたものだ。
私が思う人間力って、車の修理ができたり、機械に強かったり
、野菜の作り方を知っていたり、野草や山菜に詳しかったり、
生活していく中で必要な知恵をもっていること。
東京っ子の太が、豪雪地帯のニセコで暮らし始めたときに、
お隣がささはらさんだったことはきっと幸運以外のなにものでもなかっただろう。
そして、二人はけっこうウマが合っていたんじゃないかと思う。

太は、家の前の道路に外灯がつけられそうになった時に
「月や星の明かりがあるんだから外灯はいらない。」って
ささはらさんと阻止したんだと言っていた。
私は、暗い夜道には外灯があったほうがいいだろうと思いこんでいたので、
その話を聞いたときに驚いたことを覚えている。
でもそこに住むうちに、太とささはらさんが言った意味がわかっていった。

ささはらさんを思い出すと太もセットで浮かんでくる。
うちの前には小川があって、釣り人がちょくちょくやってきていた。
私にはよくわからなかったのだけれど、イワナが釣れたりするようで、
釣り仲間の中ではたぶんちょっとした場所なんだと思う。
ここは秘密の釣り場でもあり、夏には子供たちの遊び場にもなる。
ささはらさんは、よく子供たちをこの川で遊ばせていた。
土管の中を、浮き輪をお尻に敷いて、すべり台のようにして遊ぶのだ。

ある夏の日、「太君、川底にガラスとか落ちてないか見てもらえないかい?」とささはらさんに頼まれた。
太は、水中メガネをして、サーフィン用のウエットスーツを着て、川に潜った。
丁寧にみたようだが、危ないものは何も落ちてなかった。
川からあがると、ささはらさんは、「ありがとう」、と、缶ビール2本をくれた。
太がウエットスーツのまま縁側に座り、
冷たいビールをグビグビっとおいしそうに飲む姿を
ささはらさんが嬉しそうにみていた顔が今でもありありと浮かぶ。

私たちが住んでいた家は、
私たちが札幌に引っ越した後すぐに取り壊されて更地になった。
ニセコに行くたびに、更地になった場所をみてはもの悲しく思っていたけれど、
ささはらさんの家があることで、太と自分とがいた痕跡を感じることができていた。
でも、そのささはらさんも旅立った。
私の中でなにかのサイクルが終わりを告げた気がした。

ささはらさんの家で、鉄瓶でわかしたお湯でいれてもらったお茶はいつもとても美味しかった。

DSCN0721_ss.jpg
スポンサーサイト
2017/03/05(日) 13:24:40 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
引越しの記録その4
札幌への引越し当日
小雨が降る中、やさしい男衆が7人も手伝いにきてくれた!

ケンに、家具職人の市松さんに、同じく木工房を営む野坂さん。
ゲンテンライダーのけんちゃんにパウダーカンパニーのおうむ君
そして、飛び入りで斎藤君まできてくれた!
札幌についたら、ヒロシさんも待っていてくれていた。

頼もしい男衆たちで、
積み込み30分、荷おろし30分。
あっという間に終わってしまった。

そして、
サーファーけんちゃんのハイエースにも驚いた。
もしかして1台でいけちゃう?と思えるほどたくさん入る。

おうむ君が、
「せっかくトモキ君のハイエース借りてきたんだから使ってよね。」
っていう位。

結局2台にはなったのだけれど、
ハイエースってすごい。

途中トイレ休憩で、ふと見ると山に虹がかかっていた。
出航を祝ってくれてるのかなあ?
って気持ちになった。
たぶんいい船出のはず。

そうそう、
円山のマンションについてすぐ、
エレベーターで一緒になったおばさんが、
「引越してきたの?」
というので、
「はい、よろしくお願いします。」
と答えると、
「ここは、すきま風があって、寒いのよ~。夏は窓あけると環状線が走ってるからうるさくて。」
、と言った。

うっ、いきなりこんなの聞くのか。。。
気持ちがぐっと暗くなってしまった。

そう聞くと、
寒さは大丈夫なのかなあ??
、って不安になった。

さっそく男衆7人におばさんから聞いたことを伝えると、
みんな一斉に
「ここは。樺山よりは何倍もあったかいでしょ。」
、とあっさり言われた。

そうだ、たしかに
ふつうに住んでる人からしたら
多少寒さが気になるのかもしれない。

でも、
樺山マッチ箱ハウス(小さいってこと)は、
すきま風だらけ(たまにガラス割れてる)ような
山小屋みたいな家だったから
それに比べたら、
ここはたしかに天と地の差で、
びっくりするほどあったかかった。

それはさておき、
怒涛の引越しは、こうしてフィニッシュを迎えたのだった。
めでたし、めでたし。

、と思ったけど、
荷解きも
大変なんだってことに後からきづいた~。



RIMG0365_荷物の山

RIMG0428_引越し風景01

RIMG0442_ kenncyann

RIMG0447_樺山6人

RIMG0455_虹


RIMG0460_円山7人

2010/12/13(月) 20:47:15 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
引越しの記録その3
毎日代わる代わる、いろんな人が荷造りにやってきてくれた。
私が喘息の発作で、寝込んでるときも
主不在のまま、作業はすすんでいた。

「いや~、こんなに人の結婚式の写真ばっか見ちゃったよ~。」
、と言ったのはマキビトのみっちゃん

点滴の翌日に、札幌で撮影が入っていたのだけれど、
心配してくれて、なんとみっちゃんは撮影先まで車で連れていってくれ、
しかも撮影中は、本屋で時間をつぶしてくれ、
終わる頃またピックアップにきてくれた。
これにもまた涙でした。

「ひろみさん、ダンシャリですよ。」、と
ダンシャリって今はやりの言葉を教えてくれたのは、
こむぎ野のしおりちゃん

「これいらないっしょ。」って笑いながらバンバン捨ててくれるかんちゃん。
他人は思い入れがなく、容赦ないので、
ダンシャリが進む、進む。

そして、台所は女子チームが一気に片付けてくれた。
札幌でダンボールを開けたときに、
あまりに見事に詰められていて、感動。

ヒロシさんは、いきなり現れた。
わざわざ、札幌から荷造りのために来てくれたのだ。
ちょうどその日は近所のクレヨン村の兄がきてくれていて、
兄弟で手伝ってくれた。
男手は、大きいものを捨てたりするのに、本当に助かる。

RIMG0363_convert_20110106122927.jpg

そして、私の留守中に
物置の荷物のを移動させてくれたのが、
ケンとトモキ君とケンちゃん。
太手作りの物置の中は、私にしてみたら、
えたいのしれない機械が詰まった未知のゾーン。
それが翌日見てみると、もぬけの殻に。

市松さんは、「手伝うことない?」って頻繁に電話をくれて、
何度もゴミのエコビレッジまで、車をだしてくれた。

みんなに助けられたこんな感じな毎日だった。



2010/12/13(月) 20:00:39 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
引越しの記録 その2
この引越し騒ぎを無事終えられたのは、
ニセコのみんなのおかげだった。

そして、その筆頭で助けてくれたのが、
宮本夫妻(ケンみうら)。

「こんなに手伝ってくれる人は本当にいないよ。」
って、とある友達に言われたけれど、
本当にそのとおり。
こんな人たちは、なかなかいないと思う。

「ホコリの中では、寝れないだろうから、
うちにおいで。」って言ってくれて、
2週間以上居候させてもらい、

ケンは現場監督になって仕切ってくれて、
毎日、朝から晩まで一緒に荷造りをしてくれた。

ケンの本業は画家さんなのです。今どんどん絵が変化していってます!
RIMG0592_ケンアトリエ


みうら
私の健康管理をしてくれて、
おいしくて身体にいい食事をいつもいつも用意してくれて、
徹底的にサポート側にまわってくれて、
私には引越しのことだけすればいい、
という環境を作ってくれた。

みうらは天然酵母でつくるパン職人なので、
朝起きると、焼きたてのパンの香りがぷ~ん。
こんな朝って素敵すぎる!!
そして、もちろん朝ごはんにもおいしいパン。
このうちの子になって本当によかったって思えるのだ。アハハ。

RIMG0330_ヌリオッシュ

RIMG0610_みうらとパン

RIMG0586_宮本夫妻


RIMG0587_ベーグル
2010/12/13(月) 16:29:41 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
引越しの記録 その1 
荷造りのときはあまりに大変すぎて、
とてもブログを書く余裕はなかったけれど、
ニセコから札幌への引越しは、
とても大きな出来事だったから
記憶が古くならないうちに書き留めておきたいと思った。

太の治療で、家をあけることが多くなってきて、
除雪が大変なニセコに住むことが大変になってきた。
住み慣れたニセコで除雪をしなくていい家を探したけれど、
全然見つからず、
本格的な雪のシーズンの前には、
とにかくどうにかしなければいけない。

ニセコで家を見つけるのはとっても大変なことなのだ。

そんなときに、
病院に近い「札幌」という選択肢が、ふたりの間に浮上。

「それもいいかもね」、「よし、そうしよう!」、

と、決めたら、

本当に、
あれよあれよ、
というまに家が見つかり、
あれよあれよ、
というまに引越し準備が始まり、
あれよあれよ、
というまに引越しが終わった。

この間1ヶ月かかっていない。

これって本当にすごいことだとおもう。
だって、多分ただの引越しじゃない。
太がニセコに移り住んで以来17年近くたまりにたまった荷物に、
太の作業道具やら、物置までたんまりあったからだ。

「あれよあれよ」、と書いたものの、
たしかに時間的には「あれよあれよ」、だったのだけれど、
過ごした中身は、
ものすごい濃さだった。

太が入院している中で、
私ひとりでの引越ししなきゃいけないんだ、
と思ったら、かなり憂鬱になってきた。

アトピー、アレルギー性鼻炎、、喘息と
3拍子そろった筋金入りのアレルギー体質で、
とにかく、ホコリに弱いからだ。

案の定、
荷造りをし始めたとたん、喘息の発作がでた。
発作を抑える「メプチン」もどんどん利かなくなり、
とうとう点滴をすることになった。

でも、
救いの神は、
まわりにたくさんいたのだった。(涙)

つづく...

11月のまわりの風景は、
こんな感じからこんな感じに

RIMG0387_風景

RIMG0327_風景02
2010/12/12(日) 08:00:44 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。