WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
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岸本佐知子 「ねにもつタイプ」
何人かの友達から面白いときいていた「ねにもつタイプ」を一気に読んだ。読んでいる間じゅう、くくくと小さな笑いがとまらず、これは私も友達にひろめなくては!という思いにかられた。翻訳者ときいていたから、かたいエッセイかと思いきや、この妄想っぷりはおかしい!そして、このセンスがすばらしい!経歴に洋酒メーカー宣伝部とあったが、私がいた洋酒メーカーにはいらっしゃらなかったので、S社かと思われるが、洋酒つながりで親近感がわいてしまう。
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2007/08/29(水) 13:17:36 | | Trackback(-) | Comment(-)
河合隼雄「ナバホへの旅」の中で
「俺の心は大地とひとつだ」というアメリカインディアンのブラック ・エルクの本の中での、アメリカ先住民の共通の世界観の円形に関する話がのっていた。
「われわれがすることはなんだって輪を描いていることに気づいただろう。世界の力はいつだって輪をなして働いている。何もかもが巡り巡ろうとしているんだ。・・・世界の力がなすことは、みんな輪を描く。ほら、空は円い形をしているだろう。星はどれも円いと聞いている。風だって、いちばん勢いのあるときは渦をまいて吹くんだ。鳥たちも円い巣をつくる。鳥もわれわれと同じく、大いなるものに身をゆだねているからな。太陽だって弧を描きながら、昇っては沈んでいく。月もそうだ。太陽も月も、その姿は円い。季節-これも大きな輪をなして移り、もとのところへ戻っていくんだ。人の命も輪を描いている。子供の時代から次の子供の時代へと。輪は、世界の力が働くものすべての内にめぐっているんだよ。」

「初期の作品にその人らしさがあらわれる」とよく言うが、今日この本を読んで、写真を始めた頃の自分のことをいきなり思い出した。写真学校の短期のクラスでの初めての作品発表が「大樹」で、写真学園の2年目の修了展は「やわらかい時」というタイトルで、帽子、古い時計、トンネル。。。と先生に講評されるまで全く気づかなかったが、全て円いもので構成していたのだった。樹木も今、すごく気になっているものだ。
一昨年から写真を始めるきっかけとなった東欧への旅も16年ぶりに再開。そのうえ、生まれただけの場所だけれど、北海道に結婚して住むことになったことも。ぐるぐるまわる円を感じる今日なのであった。
2007/08/26(日) 20:52:04 | 写真 | Trackback(-) | Comment(-)
天河弁財天の七夕祭り 2
ここにもあった後醍醐天皇の足跡が!(またもやなぜか嬉しい)
町役場のHPによると、以下抜粋。
「坪内地区の天河大辨財天社についても南朝に組しそれぞれ行宮とされました。なかでも天河大辨財天社の行宮では、宮中さながらの栄華を極めたといわれています。嘉喜門院集に「天授三年七月七日吉野行宮御楽あり、嘉喜門院琵琶を弾じ天皇和歌を詠ず」としるされています。
天川郷の人々も積極的に加担し、村内の地区ごとに傳御組(おとな組)を組織して忠勤を果たしました。」
後醍醐天皇の足跡の場所は、きれいに手入れをされていて、風がぬけて、とても村の人に大切にされている様子だった。

七夕祭りはイベントもりだくさんで、流鏑馬があったり、神様に捧げる奉納の舞があったり。その中でも、美内すずえさんの「紅天女」の舞台があったのには驚いた。壮大なスケールのお話しだった。それ以上に驚いたのは、灯篭流しのときに流れていた曲がトランスで、宮司さんたちが踊っていた。友達から、神主さんは、とびやすいらしいよ、と聞いていたがほんとだったのか!!日帰りするはずが、のりうさぎのご両親が、「夜まで見ていかなくてどうする!ホテルはキャンセルしなさい!」と強く勧めてくれたわけが、夜までいてわかった。懐深い弁天様。そうそう、ちょっと弁財天さまに伺いたいのですが、ひいたおみくじが「凶」で、それはまだ100歩譲ってよしとしても、「生死十に七分死ぬべし。」「何事も当ぶんよろこびなしとしるべし」というのはちょっときつすきやしませんか??

2007/08/22(水) 00:04:02 | | Trackback(-) | Comment(-)
天河弁財天の七夕祭
去年の夏、体調もすぐれず鬱々としていた時に、心配してくれた友達の紹介で、ダウジングをして、香りを調合してくれる人のところに行った。なんと、その人は香りの調合だけでなく、前世もみれるらしい、とい人で、「吉野の後醍醐天皇陵に行きなさい。あなたの魂が喜びます。」といきなり言われた。その人によると、私は、前世で後醍醐天皇に仕えていたようで、今でいう宮内庁の職員だったらしい。とはいえそれで、吉野に行こうとは全く思わなかったのだけれど、数日後に奈良への撮影の仕事がはいり、「これは一体どういうことだ??」とその偶然に驚き、結局そのタイミングで、後醍醐天皇陵と南朝のあった吉水神社に行ってきたのだった。でも、だからといって、何か感じたか、というのは全くなかったのだけれど、吉水神社でひいたおみくじで、恋愛のところに「今の人が最良」と書いてあったのが、実は一番心にこたえ、これを引きにきたのかなあ、と思ったりして。。そんなことがあってからというもの、南北朝時代、後醍醐天皇、吉野と気になるうちに、中沢新一のおじさんの網野善彦さんにはまり、白洲正子さんの「かくれ里」にはまり、吉野杉、熊野と興味の対象がどんどんひろがってきている。そうなると偶然の情報も入ってくるもので、今年はとうとう天川に移り住んだ両親をもつ友達の家にお世話になり、天河弁財天の七夕祭まで参加することになったのだった。

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2007/08/21(火) 23:04:38 | | Trackback(-) | Comment(-)
法隆寺
最後の宮大工とよばれる西岡常一さんの「木に学べ」を読んで、どうしても法隆寺を見たくなった。飛鳥時代が建築の頂点だったという。飛鳥時代の木造建築が今も残り、それが守られているといことを奇跡とさえ思う。その当時のやりがんなの跡ひとつひとつがとてもいとおしく思えた。西岡さんの本によると、飛鳥の大工は、木の性質を実によく知っていたという。山に生えていたとき、南側に向いていた木の面は、建築物としてつかう場合、そのまま南に向けて使ったという。それは、木は切り倒された後も、なお生命を持っているので、山に生えていたときと同じ方角で使うのが最良の選択であるという考えからだ。木の性質を知りつくし、これだけうまく使っているのは飛鳥時代までだったそうだ。人は自然とともに生きていられたのは飛鳥までだったのかとさえ思う。 
「樹齢千年の木は、建築材として使ってもそれ以降、千年の命を持つ」「木は二度生きる」と、西岡棟梁はさまざまな機会に語っている。
木造建築、木、道具。色々知りたくなってきている。


2007/08/20(月) 23:10:44 | | Trackback(-) | Comment(-)
室生寺
名古屋から近鉄に乗り換え室生寺へ。室生寺のすぐ近くにある竜穴神社で見た連理の杉(別名 夫婦杉)の写真を撮っているときに、メールが鳴る。最近、結婚生活についていろいろ話し合っていた友達からだったので、このときにはいったメールの偶然に驚いた。すぐに返信でこの夫婦杉の写真を送る。
土門拳が室生寺で一冊写真集を作りたくなったのもよくわかる、巡りくる季節とともに見てみたい気にさせられる場所だった。凛として、気持ちが引き締まるような空気を感じた。
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2007/08/19(日) 23:44:23 | | Trackback(-) | Comment(-)
家づくり
二人でセルフビルドで家を建てている夫婦と知り合った。二人とも本職のカーペンターで、アラスカから5月にニセコに移住してきたロブとなつこ。二人はアイルランドで、バグパイプのワークショップで知り合って結婚したそう。セサミというミミーに似た色をしたわんこを飼っている。とってもかんじのいい二人なので、ちょくちょくミミーを連れて遊びに行っている。作業のじゃまにならない時間を選んで行ってはいるのだけれど、「I miss you MIMI~」といつもMIMIをだっこしながら、にこにこ迎えてくれる。ロブは木でボートを作ったりもするそうで、建ててる家の屋根は、ボートのシェイプをつかったような形にするようだ。設計図を見せてもらうと、心なしかドームに似ているようなマッシュルームのような屋根の家だった。軽のワゴンで寝泊りしながら建てている。寝泊りは車なのに、作業小屋の中にあるキッチンは、大きな冷蔵庫に、家庭用のガス台に食器棚ととっても充実している。朝ごはんはロブが作るじゃがいもをすったパンケーキ、お昼も夜も食べることが好きな二人はきちんと料理をしているみたい。家を建てる毎日というシンプルな生活の中で、食事は、とっても大きなウエイトを占める楽しみだ。建てながらの当たり前の日々の家事も二人で楽しんでいる様子がすごくいいなあ、と思った。本職のカーペンター夫妻なので、家を建てるのはおてのもとはいえ、キャンプ生活をしながら、家事もしながら、建てることやはり大変なことだと思う。3年前に太がドームを建てた時に、私も作業を手伝いながら食事、大量の作業着の洗濯に追われ、身体も心も消耗しきってしまったから余計にその大変さがわかる気がするのだ。肉体の疲れがピークになると、お互いにいらいらするし、いい空気にならない。もう二度とあんな思いはいやだ、と思ったけれど、こうやって、お互いに労わり、思いあいながら、楽しそうに仲良くやっている二人の家づくりを見ていたら、二人のすごさをつくづく思うのだ。家が立ち上がる様子をみていくのはもちろん面白いのだけれど、家作りの付随することがやっぱり面白い。自分たいもいつかこんな風に家作りができるんだったら。。。なんてことも思ったりして。。
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2007/08/04(土) 14:03:56 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
くもちく
夜中寝ていたら、いきなり、手に「ちくっ」とした痛みを感じて飛び起きた。ガラスがっさったような。あまりに痛くて、太を起こして、針で
取り除いてみてもらったけれど、指に心臓があるような、ドクドクと心臓が波打ったような痛みは全然おさまらないので、ちょっとおおげさかな?とはよぎったが、夜中の12時すぎに某総合病院に連れていってもらった。ところが、夜中の夜間診療だからか、職員の人たちはみんなやる気なく、なかなかでてこないわ、かんじ悪いわ、で夜中にせっかく行った甲斐がまったくなかった。先生なんて、「ここらへんには毒をもった虫はいない。隣の人がタランチュラでも飼ってれば別だけど。」とか言う始末。喧嘩しそうになった。痛み止めをもらって飲んだけれど眠れず、朝まで痛みは続いた。朝をむかえ、タウンページで外科を探し(倶知安には1件しかなかった)、再度行ったところ、先生は指を何度も見て、「たぶんこれはクモだね」とあっけなく一言。普通の先生のはずなのに、前日の医者があまりにひどかったので神様に見えた。太がぽろっと、「そういえば見かけないクモがヒロミにくっついていた」と。そいつだ、そいつだ!!犯人は。
「クモに気をつけろ!」の一夜だった。
それにしても、ニセコの家は、家のはずなのに「ここは外か?!という位いろんな虫がでてくるのである。
2007/08/02(木) 13:56:24 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
ニセコの庭
夏まっさかり。ひたいほどの庭に、ピーマン、トマト、じゃがいも、なす、にら、しそ、バジルが元気よく育っている。こんなになってくれるなんて。。。先月戻ったときには、無知のために、土がよくないことを知らず、雑草だけぬいて、肥料もあげずに苗を植えてしまったので、かわいそうな姿だった、というのに。。。私の留守に太が朝晩の水をせっせとあげてくれたよう。それがまたうれしかった。雑草を毎日抜くのも手が土にまみれるのも今では気にならなくなった。微々たる収穫だけれど、庭になったものを食べれるから、料理を作る時の気持ちもちがう。
「これうちで採れたピーマンだよ」という一言を食べる前に言う時が、ちょっとほこらしげ。最近、「いただきます」、と「ごちそうさまでした」をちょっと長く言っている。神社でもらった箸袋に書いてあった言葉で、「いただきます」は、「たなつもの、ももの木草も、天照らす、日の大神の恵み得てこそ」、「ごちそうさま」は「朝宵にものくうごとにとようけの神のめぐみをおもえ よのひと」と。こういう言葉を唱えることで、「食べる」、ということが、とっても大事なことに変わる。
2007/08/01(水) 12:34:48 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
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