WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
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スッカラ
スッカラ


この1月号で2周年になる韓国の文化を伝える「スッカラ」(韓国語で「匙(スプーン)」という意味」という雑誌がある。とてもとてもいい雑誌なので是非手にとってもらいたいのだけれど、今回はじめてやらせていただいた撮影で、下関にあるコリアンタウンを撮ってきた。タイトルは「下関ブルース ―リトル釜山を訪ねて」だ。とても印象に残る、かつ勉強になる撮影だった。1905年に下関と釜山を結ぶ関釜フェリーが就航して以来、半島からたくさんのコリアンが日本に渡ってきて、日韓の歴史の複雑な事情に巻き込まれて、祖国に戻ることができなかった多くの人たちが、下関の地に根をおろしたことで、ここにコリアンタウンができたそうだ。どこの地方都市が抱える問題のとおり、シャッター銀座は避けられない時代の波なのだろうけれど、ここには人々の懐かしいあたたかい空気が流れていた。この取材で、たくさんの在日の方に知り合い、会話を交わす機会をもてたことは、私にとって大きな出来事だった。また、自分がこの国の歴史や問題にいかに疎かったかということに愕然ともした。野村進さんの「コリアンへの旅」という本を以前読んで衝撃をうけ、この本が在日という世界を知る私の一歩になっていたのだけれど、この撮影のあともう一度読み直してみると、またこの本の重みをさらに感じることになった。この本の中で、この在日の問題をどう対応していけばいいのかという簡単ではない問いかけのなかで、作家の高史明(コサミヨン)が言った言葉がとても心に残った。「恨の心を超える心」と。「忍耐する自分を忍耐する」というものだ。以下、高史明の言葉の中から抜粋するのだけれど、「恨の心を超える心」という表現は、人類の非常に深いところにまで届いた眼からでてきている思いました、と。在日の問題も、おそらくその深さまで行くんだろうと思います、と。そして、もうひとつ「忍耐する自分を忍耐する」というふうにそれを転化しなければならない、と。圧力を受けて忍耐している自分の内部を見つめて、耐えている自分に積極的に意味を見出していくこと。つまり、自分の人生のための忍耐に変えてしまうのです。だから、日本人と朝鮮人との共存の方法というのは、(忍耐を強いられてきた)朝鮮人のほうから指し示さなければならない、いや朝鮮人のほうからしか出てこないんじゃないでしょうか、と。民族という形でしかつながることのできない人間のありようもわかるけど、民族は人類が抱え込んだ重荷と言えば重荷です。「恨の心を超える心」のたとえで言うと、民族をいつか「超えるべきもの」としたときに、初めて団結や統一は良い方向に行くんじゃないか。民族が超えたところにあるものは、人間の本質的なつながりをいう同朋の心である、と。これは在日の問題だけでなく、世界じゅうで起こる様々な問題についていえる普遍的な答えだと思った。スッカラhttp://sukkarat.exblog.jp/i2/
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2007/11/28(水) 20:35:25 | 写真 | Trackback(-) | Comment(-)
予定日はジミーペイジ
Hちゃんが送ってくれた角田光代さんの新刊。すごく読みたかった本だったのですごくうれしかった。じわり涙がこみあげてくる寸での なんといえない(眉毛がさがって泣く寸前みたいな顔しながら)ギリギリの際の気持ちのまま、一気に読んでしまった。Hちゃんは「角田さんはすごい」と言っていたが、私も本当にすごいと思った。産婦人科の先生に「おめでたですね。」と言われたときに「めでたいですかねえ」と最初ぴんとこなかったところから、身体の変化とともにどんどん心も変化してくる妊婦さんの話だ。本のなかで主人公が言ってる言葉で、「おなかのなかの生きものは、私たちが幾度も繰りかえしてきた祈りみたいな気分でできている、ということだ。あの夜夫も言っていた。海や空を見てきれいだと思う気持ち、そういうものだけ吸い取ってこの子は産まれてくるのだと。私がいま後生大事におなかに抱えているものは、未だ個人ではなくて、私という個人の子どもですらなくて、何かの一部なのかもしれない。海とか山とか木とか花とか、そういうものの。見知らぬひとがなんの垣根もなく話しかけてくれるのは、だからなんじゃないか。空とか花とかは、だれかひとりのものではない、みんなで愛でるものだから。」私も、どの子もこうやって生まれてきたんだなあ、なんて。あとがきにも書いてあったけど、いくつものストーリーがあり、いくつもの悩みと笑いが、いくつもの迷いと決定が、詰まっていたのだろう。こんなふうにみんな生まれてきたことに、涙がでてしまうのある。
2007/11/28(水) 14:44:06 | | Trackback(-) | Comment(-)
病床日記
hinode
病院の朝は早く、6時に「おはようございます」と起こされる。早寝早起き健康的な生活だ。同じ階の東側に大きな窓と面会者用のテーブルセットがあるのだけれど、歯を磨いて顔を洗って、検温を済ませてからそこに向かうのが日課になった。日の出を見るためだ。そこには、私のほかにも毎朝日の出に向かって手をあわせている女の人の姿があった。その人をみて、私も日の出に向かいながら、健康ってありがたいなあ、と、自然とお日様に向かって毎日手をあわせるようになった。その女の人と話してみると、大腸癌の手術をされた方で、「病気になるといろんなことにきづかされますよね。」「病気も意味のあることなんでしょうね。」などと毎朝ぽつぽつ話すようになった。病気というものは、何かを気づかせてくれるチャンスなんだと思う。私も今回の入院は、うまく言えないが、本当にリセットさせてもらった感がある。それにしても、せっかくの
人間交差点での病院で、その女性ともたくさん話したかったのだけれど、なにせ私は頭痛がひどく、その弱った身体には不思議と太陽の光は強すぎて、入院の後半にはなんともなくなったのだけれど、何分もその場にいられないくらいだった。太陽の波長と自分の波長が合わないというときもあるんだなあ、なんてことを感じた。
も---、ちょうがないな-
笑わせてやろうと思って、「盲腸で入院してる」と、SSにメールしたところ、「も---、ちょうがないな-」と返信が。
やっと退院
盲腸なんぞになってしまい、16日から入院。おもいがけず11日間も長居をしてしてしまい、やっと今日退院。長かった。。。すっかり浦島太郎の気分。おもいおこせば14日の夜、果物アレルギーがあるというのに、ふと魔がさし、ドライマンゴーを食べたところ、嘔吐に腹下し。翌日もうなり、さらに翌日もうなる。果物アレルギーだとすっかり思い込んでいたけれど、いつもと様子がなにかがちがうので、さすがにおかしいと思って近くの医者にいくと、「これは。。。すぐに紹介状かくからすぐに○病院にいきなさい」と。そのまま、タクシーに乗り、診てもらうと、「これは盲腸、すぐ手術だから。」とそのまま入院、即手術。背中の麻酔が痛いのなんのって。目が覚めたときには、もう病室のベッド。後から母親からきいたところによると、ずい分痛みを我慢していたようで、パンパンに腫れていて、腹膜炎をおこす寸前だったとのこと。手術中に喘息の発作まででてしまったらしい。それにしても、術後が大変。麻酔の後遺症で、頭痛と吐き気がとまらず、もちろん食事もとれず、ひたすら寝るのみ。頭を動かすと頭痛がするので、トイレに行くのも行きたくないくらい。同室には、癌の方もいらしたというのに、一番たいしたことないはずの私が一番重病そうだ、と言われてしまったくらい。そうは言っても頭痛はつらかった。10人に1人位こういう人がいるらしいが、あたらなくいてもいいのにこういうのにあたるのが私だ。。
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