WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
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着物姿のホームレス
駅前で、着物姿のホームレスの人を見た。角帯をしめて羽織もはおって、でもゴミ袋をかついでいる。まちがいない。でもしぶかった。
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2007/12/20(木) 23:43:52 | 時事 | Trackback(-) | Comment(-)
祈りの島 久高島
1.2日と沖縄本島で撮影があり、翌日私だけ一日帰りを延長させてもらって、岡本太郎の忘れられた日本―』を読んで以来、ずっと行ってみたかった久高島に行くことができた。久高島は、本島の北部の安座真から高速船で15分 の日帰りが十分できる小さな小さな島だ。でもこの島は、とても聖なる島で、琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという、琉球神話聖地の島なのだ。そして、久高島には琉球王朝に作られた神女組織「祝女(ノロ)」制度を継承し、12年に一度行われる秘祭イザイホーを頂点とした祭事を行うなど、女性を守護神とする母性原理の精神文化をずっと伝えてきたそうだ。ただ、残念ながらイザイホーは、後継者不足から1978年から行われていないそうだ。
岡本太郎は、「沖縄文化論」のなかで、御嶽(神のおりる聖所)の「なにもないということ」に圧倒された、と、かいてあったが、それがずっと頭の片隅に残っていた。
以下抜粋。「御嶽には、神体もなければ偶像もない、そんな死臭をみじんも感じさせない清潔感。神はこのようななんにもない場所に降りてきて、透明な空気の中で人間とむかいあいうのだ。なに一つ、もの、形としてこちらを圧してくるものはなく、清潔で、無条件だ。だから逆にこちらから全霊をもって見えない世界によびかける。神聖感はひどく身近に、強烈だ。生きている実感、と同時にメタフィジックな感動である。神は自分のまわりにみちみている。」―と岡本太郎は感じたのだ。

その日は、那覇に住むニッカ時代の先輩Nちゃんと一緒に、琉球王朝の最高の聖地斎場御嶽(せいふぁうたき)をガイドさん付きで見学してから(斎場御嶽からは、久高を望み祈祷を行う場所があった。)、久高島への船に乗り、Aちゃんから紹介してもらった久高島案内人の苗さんに連絡がついて、島の中を軽自動車で、一緒にまわってもらうことができたのだった。苗さんは真っ白い髪をきれに束ねて、笑顔がとても美しい、とても素敵な女性だった。車に乗って、すこしすると苗さんは、外に向かって、「こんにちは」「元気?」と言うのだけれど、外には誰もいないので、「誰に話しかけているんですか?」と尋ねると「鳥や蝶によ」と言う。「え?」と、びっくりしたのだけれど、そのうちに、苗さんが「姿を見せて」と言うと、本当に鳥が前を通りすぎてくれたり、何度も何度もみせてもらううちに、あの挨拶はちゃんと鳥や蝶に通じているんだ、ということを信じられるようになった。苗さんは自然を波長を合わせることの大事さを教えてくれたり、人にとっての大事なことのいろんな話をしてくれた。その中でも、ずっしり響いた言葉は、「女性にとって、愛は受けるものではないのよ。愛は与えるものよ。」というもの。「与えてばっかりで、女の人の愛は枯れないのですか?」と尋ねると、苗さんは笑いながら、「枯れないわよ。だって、与えたら、相手はうれしくなって、笑顔になるでしょ?そしたらその笑顔を見て自分もうれしくなる。その繰り返しになるからね。」、と。女の人というものは、元々つよいものらしい。ついつい、ほしがってばかりになりがちになってしまうけれど、そうではないのだ。
聖なる御嶽や、浜へいくつも連れていってもらったのだけれど、小さい島なのに、久高島にはいくつもいろんな表情があった。勘が鋭いわけではないので、何かを感じるかというと、よくわからなかったのだけれど、でも、御嶽にお祈りをした後で、小道をぬけ、イシキ浜にでたときには、なんともいえないものがぐっとこみあげてきた。イシキ浜は毎年2回、ハンジャナシーの時に神々が乗った船が停泊する浜で、ニライカナイの「対岸」にあるとされ、五穀の入った壷もこの浜に流れ着いたと言われる浜で国王様もかつてニライカナイを遥拝しにここまで訪れていたそうで、祈りの場所だそうだ。岡本太郎のいう、御嶽の「なにもないということ」がすこしだけわかったような。昔の人は、きっと、誰でも聖なる場所を感じる力があったのだろう。それが、石や形のあるものをあがめるようになって、だんだん感じる力が衰えてきたのかもしれない。
苗さんに、海で身体で気を感じる方法を教えてもらった。力を抜いて手を広げて、ぐるぐるまわすとビリビリ感じる方向が自分にあった方角だという。私は、チリチリといろんな方角を感じたような気がした。

今回このタイミングで久高島に来れたことは、きっと何か意味あることだったような気がする。
もちろんそれはなんだかわからないのだけれど。。。
2007/12/06(木) 00:52:46 | | Trackback(-) | Comment(-)
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