WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
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写真対決 「そうだ、コウキョへ行こう」
天気に恵まれた写真対決。とにかく暑い一日だった。
暑い、暑い、と涼を求めてさまよい歩いていたところに涼しげな噴水を見つけた。
水を得た魚のように、マイナスイオンに包まれて、とりつかれたようにバチバチシャッターを切る。
そして、フイルムを入れ替えたそのとき、一瞬なぜか頭が真空状態になり、次に気づいたときには、なんとひとさし指がシャッター膜の中に入っていたのである!!!
一番触ってはいけないところに指が!これはいったいなんということだ。。。
カミュの「異邦人」の中の主人公が殺人の動機を問われ「太陽が眩しかったから」と答えたことの意味がわかるような(実はまったく違うのだけれど)そんな自分の行動が理解できないような出来事だった。呆然としたまま、写真対決途中、一人だけ銀座のニコンのサービスセンターに向かう。
みんなは終了後楽しく原っぱでお弁当を食べというのに。。
シャッター膜の取替え代17000円。
意味不明の出費にむせび泣くのであった。
そして、この回の写真対決は初参加のガラス作家の狩野さんが、なんと一位をさらりともっていった。
しっかりしたものも見方(美意識)をもっている人なんだなあ、というのが写真を見てわかった。
そして、ニイツマちゃんの虹がでている噴水ごしの少年の写真はとってもよかった。(今回の高得点)。写真の神様がおりてきた一枚だと思った。
新星アラワル。そして、私は異邦人。。。

噴水
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2008/10/19(日) 17:07:10 | 写真 | Trackback(-) | Comment(-)
ひとつぼ展30回記念パーティ その2 身土不二
パーティは懐かしい面々との再会だらけだった。
この写真は小林キユウ君の挨拶のときのもので、後ろに映っているのが私の写真。
まだキユウ君が長野から毎週バスにのって写真を撮りに東京にきていたころ、ひとつぼメンバーで飲んだときに、私は彼から「身土不二」という言葉を教えてもらった。今から考えると、時代を先取りしていた言葉で、さすが養蜂家キユウ氏。私はやっと今ニセコでその言葉の意味を体感しているところだ。


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2008/10/18(土) 16:19:44 | 写真 | Trackback(-) | Comment(-)
ひとつぼ展30回記念パーティ その1
ひとつぼがとうとう30回記念を迎えた。
1年に2回の公募なので15年たったということだ。
入選者の数も10*30=のべ300人(私みたいに最多入賞(6回)の人もいるので、実際はもう少し少ないけれど)。たくさんの写真家を世に送り出している。
若手写真家の登竜門として、ひとつぼの果たしてきた役割はとても大きく、
一時代を作ってきたといっても過言ではないと思う。
写真は時代を切り取る。
ひとつぼは毎回、今、という時代がどういう時代なのかを見せてくれた。

そして、30回を迎えて、そのひとつぼもその形を変えようとしているようだ。
写真というものを考えさせてくれる仕組みにきっとなるはずだ。(と、期待している)

今回のポストカード160人の展示は、
「これだけ写真の幅があるのだなあ」、と改めて思わせてくれ、とても見ごたえがあった。
これも写真、あれも写真、といったように幅があることがとても楽しい。
それにしても、たくさんありすぎてか、自分のがぜんぜん見つからず、3周してやっと見つけた。
あとで気づいたら、あいうえお順に並んでいた・・・
自分のには4つピンがささっていた。知り合いが一人入れてくれたのはわかっているのだけれどあとは不明。誰のもとへあのキリンたちはもらわれていくのだろうか?

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2008/10/17(金) 22:14:07 | 写真 | Trackback(-) | Comment(-)
スライドショー(ベオグラード7/23)
「そして、深呼吸」(ドームハウスのできるまで)をスライドショーにした。
解説しながら流しているのに、「見たいから早く次をながせ」とか、けっこう勝手な声が聞こえてくる。
木の家がおもしろいようだ。しかも形がドームハウスだからだろう。

終わりのほうには、「オーボエふいてもいいですか?」とオーボエを吹く人もあらわれ、なんでもありの
状態に突入、若者から年配の人まで、打ち上げもにぎやかに終わる。

スライド01

スライドショー
2008/10/10(金) 20:31:22 | 写真 | Trackback(-) | Comment(-)
オープニングパーティ(ベオグラード7/21)
昼間IVONAと母と、オープニング用の飲み物とプラカップを近くのスーパーに買いに行く。とはいえ、何人位きてくれるか、かいもく見当もつかない。
いったい誰が来てくれるのだろう??と心配していたが、不思議に時間になったら、あれよあれよ、と続々と人が集まってきた。びっくりするくらいたくさんの人がきてくれたのだ。

ギャラリーのお客さんに、アーティスト、在住の日本人の方々に、セルビアの長井大使ご夫妻までいらしてくださっていた。そして、アイルランドからはるばるきてくれたマヤちゃん。来てくださった方々のあたたかい思いがつまった、とても素敵なオープニングだった。
不安に思っていた気持ちなんて、いっきにふっとんだ!!

ふっとんだ、といえば。。
実は、オープニングパーティのこの日のために、がんばって一曲だけ覚えた日舞。旅の恥はかき捨てではないが、盛り上げることも大事かと、一生懸命覚えてきたのに、カセットデッキがどうしてもみつからず、結局踊れずじまいで、ふっとんだのであった。
ただ、母に言わせると、決めのポーズがいちいち決まってないから踊らない方がいいよ、と言っていたので、この念が強く働いたようにおもわれる。

IVONAのプレス力、秋川さんのお力添えに感謝の気持ちでいっぱい。
そして、翻訳、通訳といつも助けてくるエミーナ(水色のパンツの女性)に感謝感謝、なのであった。

オープニング02
2008/10/10(金) 18:49:03 | 写真 | Trackback(-) | Comment(-)
個展の搬入(ベオグラード7/19)
ガラスの大きさにあわせて、プリントのサイズは70cm*100cmと50cm*50cmの2種類だけにした。
プリントに余白をつけて持っていったので、ガラスの大きさに紙をカットするだけで母と二人でも1日半かかってしまった。

「いったいどうやってガラスを壁にくっつけるのか??」
日本から英語の手紙で尋ねても、答えが戻ってこないので、これがずっと心配の種だった。

結局この謎がとけたのは、搬入が始まってからだった。
搬入には展示のプロのジェイコとその息子さんの二人がきてくれて、慣れた手つきで作業をすすめる。厚紙の上にプリントを置き、その上にガラスを置き、荷造り用のひもをガラスの左側と右側に縛り付けて、そして、天井近くの棒に吊るしているのだ。
「え??」、
当然、画面の上には、ひもがかかってしまっている。
ぎょっとした。

しかし、どうやらもうこれでいくしかないようだ。

りんごのコンポジションの部分をやり始めたのだけれど、どうやるのかとみていたら、釘の頭だけでガラスを留めている。これができるのだったら、全部この方法でやってもらいたかったのだけれど、壁によってこれができないところもあるようで、駄目と言われた。

「郷に入れば郷に従え」だ、と思うしかなかった。でも、展示が終わると、不思議なものでそれほど気にならなくなった。

写真の上にひもがかかっている展示というのは、日本ではとても考えられないが、あとで、ギャラリー回りをしてわかったのだが、セルビアではこの方法はふうつだったのだ。
しかも、日本では水ひもを使って水準器を使って、水平をだすだけでもかなり時間がかかるというのに、ジェイコは上から吊るしたにもかかわらず、ほとんどメジャーだけで、水平はもちろん、間隔もきれいに、なんといってもとても手際よく展示をしていた。展示のプロ、さすがだった。

最後に撮った記念写真、みんないい顔をしている。

展示

展示01

展示02
2008/10/10(金) 17:48:01 | 写真 | Trackback(-) | Comment(-)
羊蹄山へ その1
念願のヨウテイ。
というのに、いきなり寝坊。急いで、玄米入りおにぎりをにぎり、コーヒーを沸かし、途中コンビニで甘納豆とチョコを買って、7時半近くに真狩の登り口に到着。羊下の神社で無事を祈って、ストック2本を両手に持って登り始める。お天気もよく、風もなく、絶好の山登りデー。日曜日なので、たくさん人が登っている。

太はいつもの大工の格好で、藍染の股引きに腹掛、頭には手ぬぐい、そして地下足袋。「西洋人の履く硬い登山靴なんてだめだ、地下足袋が足にはいいんだぞ」、と言っている横で、私は汗を吸うナイキのシャツにウインドブレーカーをはおるという、所謂ふつうの格好。
登っている人の大半は登山ルックが大半だが、たまに軽くスエットの上下という人もいて、相当登りなれた人なんだろうと思わせる。
ずいぶん前だが、倶知安の登り口辺りをセトマンとフトシと散歩していたら、ワイシャツにふつうのズボンという普通の姿でハアハアと荒い息をして羊蹄山を降りてきた人がいて、度肝をぬかれたのだが、もっと驚いたのは、一緒にいたセトマンが、その人に「お父さん」と呼びかけたことだ。このへんの人は、こんな風に散歩みたいにヨウテイへ登れるのかと思った覚えがある。

もちろん、登り慣れた人にはたいしたこともないのだろうが、私にとって、このヨウテイ登山は、ほぼ初山登り。しかもほとんどふだん運動もしていないくせに。太も冬のヨウテイは、スノーボードで何度も行っているが、夏のヨウテイは初めてだった。
そして、やはり「山を甘くみてはいけない!」ということを、その後痛いほど知らされるのである。。。


ヨウテイアルク

ヨウテイソラ



2008/10/06(月) 20:45:18 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
羊蹄山へ その2
羊蹄山の登り口は、倶知安、京極、真狩、喜茂別とあるのだけれど、真狩が一番ゆるやかで距離は長いけれど、登りやすいそうだ。
登り初めて、相当歩いてやっと1合目の表示が始めてたので驚いた。「一合目までで、こんなにも歩くのだったら、山頂までなんて果たして行けるのか??」という不安なおもいにかられたからだ。行きは5時間ときくので、13時には下り始めないと帰りが暗くなる。標高を10等分してるから、下のほうは距離が長いのだと後で知ったが、それにしても長く長く感じた1合目。
1、2,3・・・数字は魔力をもっている。2合目、3合目と出てくる数字がこんなにもまちどおしく、そしてこんなにも心の支えになるのだから。
山道もバラエティに富んでいて、ふつうの山道がいきなり急になったり、またゆるやかになったり。最初、急な道がでてきた時には、「こんなのをずっと登らなければならないの??」と心配になったが、登っているうちにいろんな道があるのがわかった。とにもかくにも、いちいちこんな調子、そして足もとを気にするので精一杯、息はハアハアとあがり、カメラで写真を撮るなんて、余裕は全くなかった。初めて、というのはこんなものなのだろうか?

と、そうは言っても、目シャッターは何度も切る。
キラキラと光る黄色の葉っぱのアーチ、風雪に耐え続けてきたダケカンバの大木、山ぶどうの赤い葉、そして足もとには、コケと植物がおりなすミニ盆栽のような世界が繰り広げられ、また岩とコケと植物と木の日本庭園のような絶妙な配置の場所もある。盆栽や庭園の元々の発想の場を知った気分。

森の中、落ち葉の上をしゃかしゃか歩くのは、とっても気持ちがいい、と私の鼻は言っていた。
アレルギー性鼻炎、万年鼻づまりの私の鼻が、なんと登っている間じゅうスースーと通っていたのだ。これはすごいことだ。やはりここは聖地なのか?!森の中はマイナスイオンだらけだからだろうか!

そして、なんと言ってももっとすごいのは、うちのミミー。
ミミー前の右足が麻痺して動かないのだけれど、それでもぴょんぴょんと嬉しそうに登り続けて、なんと軽々山頂まで行ったのだから。鏡沼や神仙沼、雪の中、たくさん歩かせてきたけれど、ここまで何時間も登れるとは。たぶん ヨウテイの山頂に登った初めてのミニピンではないだろうか?
それにひきかえ私は情けなさぶりはひどく、あまりにつらそうに見えたのか、途中から太が私のリュックも一緒に背負ってくれた位だ。

ヨウテイミミ

ヨウテイタイボク

ヨウテイコウヨウ

2008/10/06(月) 19:34:45 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
羊蹄山へ その3
念願の山頂の噴火口。
雪がところどころ残っていた。
太は冬にここを何度も滑っている。雪で覆われた噴火口のボウルの中を滑る気持ちは想像するだけでも気持ちよさそうだ。どれだけ気持ちよかったかを何度も聞いていたので、ずっと見てみたかったのだ。もちろん冬にはいけないけれど、これを見れただけで満足した。
「ヨウテイのオカマ」が見たい、とずっと言い続けてきたのだから。
そして、火口をみながら食べるおにぎりはとってもおいしかった。

記念写真を撮っていると、近くにいる人たちから、写真を撮らせてくださいと、声をかけられた。太のいでたちとちっこいミミーは異彩を放っていたようだ。
火口の周りを皆歩いていたが、なにせ山頂は寒く、太と顔を見合わせて、「もう、いいよね」と確認しあい、そうそうに山を降り始めた。オカマさえ見れればもう満足してしまったのだ。

そして、毎度の事ながら、事件は起こるのである。下りの5号目で、右足の膝の横の筋が痛くなり、足を曲げるのがつらくなってしまい、歩けないのだ!!!
「え---っ?!」じん帯を伸ばしたのだろうか?頭の中が真っ白になる。。
しかし、太は冷静に「自力で降りるしかないんだから、お尻ついてはってでも進め」と突き放して言う。
両手でストックをつきながら、足をひきづり亀の歩みのように一歩一歩ゆっくりと下り始めた。上で会った人たち全員にぬかされ、だんだん日が暮れていく。それでもまだ4合目。気が遠くなってくるが無言でひたすら降りる。あたりは暗くなってほとんどみえなくなったころが2号目半。空を見上げると三日月。満月だったらよかったのに、と思いながら、半べそをかく。
太のリュックに背負われたミミーは上から顔をだして心配しくれている。
とうとう真っ暗になり、携帯の明かりだけをたよりに、1合目までこれた。実はここからがまだまだ長いのだが。
「入山届けで到着してないことがわかって救助とか来てくれないのかなあ?」とか言う私に、「甘えるな、山を甘くみるからだ」「ガイド料とシェルパ料で、花吉の寿司だな」と怒りつづける太。
そして、とうとう降りることができたのだった。

身体が冷え切っていたのでお寿司はやめて、お好み焼きのじゅうに向かうと、まこちゃん夫妻、玉井太朗家族もきていて、足をひきづる情けない姿をみんなに見られる。

うちに帰ると電話が鳴り響いた。それは、なんと倶知安警察から「無事着きましたか?」という電話だったのだ。途中ぬかした人が、気をきかせて通報してくれたようで、ちょっとしたプチ遭難事件。

あったかいお風呂に身体を沈めると、なんと膝が曲がるではないか!!
たははは。あれはいったいなんだったのか。
てっきりじん帯をどうにかしたのかと思ったのに・・・・どおりで太もあわてなかったはずだ。

下は紅葉の始まり、途中は紅葉真っ盛り、そして山頂には雪が少しある、という一日で季節を駆け抜けたヨウテイ登山だった。

ヨウテイオカマ

2008/10/06(月) 17:36:05 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
ヤイトパレ
アイヌ語で、「ヤイトパレ」とは、別れ際で使う言葉で、日本語では「気をつけてね」と簡単に訳されているが、本当はもっと深い意味がこめられていて、アイヌ語でもっとも尊いとされている言葉なんだということを聞いた。

「ヤイトパレ」の「ヤイ」は「私」、「トパレ」は「見守る」で、
「自分をいつも見守っている(自分を見守ることができる)人は、いつでもどこでも何があっても大丈夫」、ということだそうだ。

Rちゃんは以前友達3人で、アイヌ語でもっとも尊い言葉を知りたくて、静内に住むアイヌの長老のクズノエカシに会いに行った。
すでに長く病床につかれていたにもかかわらず、突然の訪問者たちを温かくむかえいれてくれて、いろんな話をしてくださった。3人はそれだけで胸いっぱいになり、聞きたいことはきけずじまいだったけれど、そろそろおいとましようとしたときに、エカシは「ヤイトパレ」と言って、「この言葉はアイヌ語でもっとも尊い言葉ですよ。」と、その意味を教えてくれた。

そう、このエカシはこの3人が何が聞きたくて訪ねてきたのか最初からわかっていたのだ。
そして、「自分の大事な人にこの言葉を手渡しなさい。」と言われたそうだ。

こうやって、アイヌの言葉というものは、大事に人から人へ手渡されてきたのだ。

2008/10/01(水) 09:45:36 | ニセコでの生活 | Trackback(-) | Comment(-)
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