WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
わたしの家族
太とミミーと私。

私は、自分でつくっていった
この3人家族(ミミーは犬ですが、うちでは人と数えています。)を
とても気に入っていた。
そして、この相方二人は自慢の家族だった。

次から次にいろんなことをして私を驚かせる太。
「太の奥さんは、わたしよ!」と、たぶん思っていたはずのミミー。

***
以下は、2006年にある雑誌に書いたエッセイより。
***

「小さな奇跡」

東京とニセコを行ったり来たりして6年になる。
アトピーの悪化により、療養に行った事がきっかけだ。
自然の中の暮らしは驚きの連続で、
何度も足を運ぶようになり、
とうとう一昨年には
自然が好きで東京からニセコに移り住んで12年になる人と
結婚まですることになってしまったのだから
人生わからないものである。

そして、ある日、
ミニチュアピンシャーの子犬のミミーが家族の一員になった。
私にとって初めての犬との暮らしである。
私は、この新しい家族たちから
「小さな奇跡」というものがあるということを間近で見せてもらった。

ひとつは、建築なんて全くの素人の彼が、
沢山の人たちの協力をもって、
一年かけて本当に建ててしまったドームハウス。

そしてもうひとつは、
ある日突然右半身麻痺になり、
寝たきりになったミミーが、少しずつ回復し、
今では前足1本の麻痺は残っているものの元気に飛び回るようになれたこと。

回復するまでの間、
ミミーは自分の怪我を気にする様子もなく、
回復の度合いに合わせて前向きに、
健気に「生きている」という様子で、
その姿は、とても勇気をもらえるものだった。

日々「小さな奇跡」を生む相棒たちに
負けてはいられないなあ、と思う私である。

mi06_1581a__太とミミー02
スポンサーサイト
ソフィーの世界
インフルエンザの高熱の
ぼうーっとする頭で
なにげなく
読み始めたのが、
ずいぶん前のベストセラー「ソフィーの世界」。

この本は、
すこし前に、
あらすじをまったく知らずに
哲学の入門書にいいんだろうな、位の気持ちで
とブックオフで買ったものだった。
しかし、買ってはみたものの、
数ページしか読めずに投げ出していた。

ところが、今回最後まで読んで、
世界的なベストセラーになった訳が、
今ごろようやくわかった。

ミステリー仕立ての2重構造になっていて、
最後の最後まで読ませる!おもしろい!

私には、今が読むべきタイミングだったんだろう、と思った。

哲学について
本気で考えるようになるのは、
きっと
いまの私みたいに、
「死ってなんだろう?」とか
「生きるってなんだろう?」とか
ここから始まるんだろうから。

実存主義の創始者キルケゴールの言葉が残る。

DSC_8394_川氷
インフルエンザA型
初めてインフルエンザにかかった。

39.7℃とでた体温計に驚き、
朝一で近所の病院に駆け込むと、
すぐにインフルエンザA型とわかり、
有名なタミフルと、解熱剤を処方された。

うちに戻って処方箋をよく読むと、
解熱剤にもらった「カロナール」という名前、
どこかで聞いた覚えが。。

「これって
太が最後の頃、毎日飲んでいた解熱剤だ。」、とハタと思い出した。

太は高熱をひたすらおさえるために
6時間毎に、このカロナールを飲み続けていた。

私が今、
インフルエンザにかかって
高熱だしてるのって、
もしかして、あのときの太のつらさをすこしでも
わかるためだったりするのかもなあ、
なんてことをぼーっとする意識の中で
考えながら、寝込んでいた。


RIMG0454_01.jpg

疑問が解けた?
1/26のブログに書いたのだけど、
私は、
太が「もういいから。」と、自分で呼吸器を外して
亡くなっていったときのことが頭から離れずにいた。

自分で決めて旅立っていったのかと、
頭では思っていたのだけれど、
でも本当にそうだったのか、という想いが、
心にずっとのこっていた。

そのことを知りたい、知りたいって思っていたからか、
答えのようなものが次々と最近やってきた。

一個目は、かっこちゃんのメルマガから。
二個目は、友達から。
そして、3個目も友達から。

かっこちゃんのある日のメルマガに、
お父さまが亡くなられるときのことが書かれてあった。
かっこちゃんは、
呼吸器を自分で外そうとされたお父様を見て、
自分で覚悟をしたんだろうって思ったそう。

そのときは、それを読んで、
太もそうだったのかな?
って思ったのだけれど、

その話を友達にしたら、
その人は出産のときに、
呼吸器をつけたことがあって、
あれは、つけたらわかるけれど、
ものすごく不快なんだよ、とおしえてくれた。

そしたら、今度は
このブログを読んでくれた友達からのメールが届いて、
お父様が亡くなるときのことを書いてくれていた。
そこにも、
「プラスチックがあたるのがいやなのか、なんどもはずそうとしてたな。
それを、6歳からの幼なじみが、
一生懸命、顔に触れないようにずっと持ったまま何時間も横についていました。」、と。


友達からのこの話をふたつ聞いて
ふっと肩の力が抜けた気がした。

「不快だ」っていう生理的なことのほうが
私には、すっと腑に落ちた。
太は、心地よくないことをなにより嫌がる人だったから。

とはいえ、
ほんとうのことは、結局いまもわからない。
覚悟したのかもしれないし、
不快だったからかもしれない。

でも、
「もうそんなこはどっちでもいいや」
って思えてる今の自分のほうに驚いている!


zoo 187_kirin



「全ては経験した人間以外わかりようがない」
ここのところ、確定申告の1年分たまった領収書を
入力していて、去年1年のことを否応なしに
思い出すことになっていた。
太が旅立つ前までの
一日、一日がハッキリうかんできていた。

そんなところに、
日曜にケンとミウラが札幌にやってきて、
映画を見たり、一日一緒に過ごしたのだけれど、
ドームから引き取ってきたという
いくつかの太の荷物のダンボールも運んできてくれた。

これもなにかのタイミングなのかもしれない。

段ボールの外には、建築士のテキストとかいてあったので、
もうそのまま処分しようかと思っていたのだけれど、
今朝、それをあけてみたら、
建築士のテキストのほかに、
古い大学ノートが何冊かはいっていた。

初めにひらいたノートの
最初のページに書いてあった一文が
目に飛び込んできた。

「全ては経験した人間以外わかりようがない」、と。

太が残したこの言葉の重さをずっしりとおもった。


中をみてみると、数冊のノートのほとんどが
冬山ガイド時代(1995年から1999年までの)の、山の天候の記録だった。
ところどころに、日記のような記述があった。

そして、それから、1冊だけ雪崩事故の年の日記がはいっていた。

ストーブの前に座り、読んでいった。

私はこの頃の太のことまったく知らない。

雪崩事故のこと、その当時のこと、
太の人生の中に起きた、
とてつもない大きなことを
私は、ほとんど太の口から聞くことがなかった。

太が抱えていた大きなものを、
もうすこし私も一緒に持つことができたのではないか、
そんな想いもこみ上げてくる。

20110826_231_かせき


Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。