WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
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「太 三回忌」

4月30日、おかげさまで太の3回忌を無事に終わらせることができました。

ニセコはまだまだ冬のようで、あいにくの悪天候。
雪や雨がちらつき、頂上付近は白いもやが出て、
ピークまで登ることはできませんでしたが、
途中の見晴らしまでいくことができました。
しかし、ここまでも、板をかついで、すこしハイクアップ。
途中から板をかついでもらったのですが、それでも息はあがってしまいました。。

私は、1年に1度だけこの日にスキーをすることになるのですが、
今の体力では、ピークまで板をかついで30分登るのは、かなり厳しい!
だから、
太がこの天気にしてくれたのかな?(笑)って気がしました。

それはともかく、太の大事な仲間たちと、
今年の命日も一緒に山に登ることができたのは、
とても感慨深かったです。

太が亡くなってちょうど2年がたちました。
ニセコに行くと、太と過ごした時間がより強く思い出されます。

2年という月日が長いのか、短いのかはわかりません。
ただ、時間というものは、確実に過ぎていくんだなあ、
ということをおもいます。

札幌の家の窓から見える円山も、
つい最近まで雪で覆われていたのが、一気にとけました。
桜もきっとあともうすこし。

こうして自然をみていくと、
「変わらないものは何もない」、ということを痛いほど感じます。

そして、太がいなくなってからのこの2年は、
「横に太はもういないんだ。」、ということ、
だんだんと受け入れるために必要な時間だったようにも思います。

そして、こうして3回忌を太の仲間たちと一緒にまた山に登れたということは、
私にとってもまたひとつの節目になったように思います。

太の素晴らしい仲間たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にどうもありがとうございました。

On April 30, FUTOSHI died, and just two years passed.
I climbed the mountains of Niseko with friends of FUTOSHI this year.
I still boiled Niseko a thing of winter, and it was not fine. Unfortunately I was not able to climb us to the top, but was able to go halfway.
I was very glad of important friends of FUTOSHI and the thing which were able to climb the mountain together on an anniversary of a death of this year
FUTOSHI died, and just two years passed.
When I go to Niseko, FUTOSHI and the time that I spent are more strongly remembered.
For me, I do not know whether I am short whether the time called two years is long.
I think that the time passes surely some other time.
It was snowy just until recently, and Maruyama to see from the window of the house of Sapporo was able to dissolve what was covered at a stretch. I think that there is few more that a cherry tree blooms.
I feel, "there is no thing which does not change" in this way when I watch nature.

And I think, but but I think that nothing changes by oneself as having been at time necessary to gradually accept that FUTOSHI is not already beside me for these two years.
And it thinks that it was for me again at one turning point that I was able to climb the mountain with friends of FUTOSHI again on his anniversary of a death.

I am full of the feelings of thanks for splendid friends of FUTOSHI.
Really thank you very much.

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吉本隆明さんの「開店休業」(プレジデント社)の書評
5月19日(日)の北海道新聞。
私の大好きなエッセイストの平松洋子さんがが、
吉本隆明さんの「開店休業」(プレジデント社)について書評を書かれています。
この本は、食の雑誌「dancyu」で、
2007年1月から4年間に渡って連載されたエッセイ「おいしく愉しく食べてこそ」を
まとめたものに、長女のハルノ宵子さん(よしもとばななさんのお姉さん)が、
その1編1編に追想を書かれ、親子の共著となったものです。

私は、吉本さんの連載エッセイに毎月イメージ写真をイメージ写真をつけさせてもらっていました。

平松さんが言われているとおり、
「読めばよむほどスルメのように味がにじみ出てくる」本だとおもいます。

こちらは、ほぼ日での、糸井重里さんと、ハルノ宵子さんの対談。
私も、同席していたのですが、これもまたおもしろい対談なので、ぜひ!
http://www.1101.com/harunoyoiko/index.html

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2013/05/30(木) 23:36:08 | | Trackback(-) | Comment(-)
吉本隆明「開店休業」
食の雑誌「dancyu」で、吉本隆明さんの連載の巻頭エッセイ「おいしく愉しく食べてこそ」に、
2007年1月から4年間に渡って、私は、毎月イメージ写真をつけさせてもらっていました。
吉本さんは、昨年2012年3月16日、87歳で旅立たれたのですが、
40回分の連載をまとめたものがこの度プレジデント社から出版されました。
このエッセイは、吉本さんの自筆で書かれた最後のものとなります。
そして、吉本さんの長女の漫画家のハルノ宵子さん(よしもとばななさんのお姉さま)が、
今回このエッセイ1章1章に追想を書かれています。
これがまたとてもすばらしいのですが、私には、ご両親へのラブレターのように感じました。
吉本さんの毎回胸がキュンとするエッセイに、宵子さん節のきいた追想。
食の話は家族の話に、結局は行き着くので、これを読むと、吉本家の皆さんは、
実にユニークで、膨大なエネルギーをもつメンバーで構成されていたんだな、って改めて思いました。
そして、吉本さんの最後のお仕事に関わらせていただいたことは、私にとっても、とても貴重な体験でした。

***
2006年の秋に新宿のgalleryユイットで、「雪を待つ」という、
セルビアで撮った作品で個展をしていたときに、
dancyuの編集者のEさんが見にきてくださり、
その場で、「吉本さんのエッセイにイメージ写真をつけませんか?」、
と声をかけていただいたことがこの連載に関わるきっかけでした。

それから、4年間、Eさんとご自宅に原稿をいただきに伺がっていたのですが、
吉本さんのお顔を拝見するのが、月に1度の私の密かな楽しみでした。
日本を代表する思想家であり、「知の巨人」、と言われた吉本翁ですが、
実際お会いすると、とても気さくで、照れ屋な方のようにかんじました。

実は、原稿をお書きになるのが大変遅く、毎回入稿がギリギリになることが常だったのですが、
それでも原稿を落とされることはほとんどありませんでした。
毎月、書きあがりほやほやの手書きの生原稿を直に受け取り、
それを1番最初に読むことができ、そして、毎回胸がキュンとする素敵なエッセイに、
Eさんとイメージ写真をあわせていく作業は、本当に楽しかったです。

そして、ほんの時々でしたが、お座敷にあげていただき、お茶を飲みながら、
猫ちゃんと遊び、世間話をさせていただいたこともとてもいい思い出になっています。

そのときに、お話しさせていただいた中で覚えているエピソードを1つ書きます。

私が、「なんで今の世の中って」、みたいな世の中に対しての質問というか愚痴みたいのを言ったときに、
吉本さんは、
「僕は宵っ張りで、夜中よくテレビを見ているんですが、たまにいい番組をやっていたりしてね、
世にでてこないような普通の人がでてきて頑張っていたり、よいことをしてる人たちがけっこういることを見ていてね、世の中捨てたもんじゃないんだ、って思っているんですよ」、と言われたんです。

私はそのときに、吉本さんという人は、そうやってこの世の中を見て信じていたのかって、思ったことを
とても印象深く覚えています。
「世の中捨てたもんじゃない」、
これは、私にとってはすごく大事なことを教えていただいたなって思っています。

吉本さんの最後のお仕事に関わらせていただいたことは、
私にとって、宝物のような大事な思い出になりました。
そして、余談ですが、亡くなられた3月16日というのは、
実は、太の誕生日(3月17日)の1日前なので、ずっと忘れられない命日になったのでした。

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