WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
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「太の道具が教えてくれたこと。「バトンリレー」  その4」
太の道具たちは、
京都に住む宮大工になった太の甥っ子のダイキ君のもとに
無事に渡った。
ダイキ君のメールに...
「どの道具も太君の魂が宿っていますね。
素晴らしいです。じっくり見てしまいます。」
と、書かれてあって、わたしもうれしくなった。

そうなのだ、太のものには、ほんとうにどれにでも、
ひと味、手が加えられていて、「太のものだ~。」とわかる。

大工道具だけでなく、山用のリュック、車、
マウンテンバイクのタイヤまでも。
余談だけれど、
入院中にのっていたマウンテンバイクのタイヤが、
カッターで削られていたのには、ほんとにびっくりした。
体力がなかったから、抵抗を少なくしたんだとおもう。

自分に使いやすいように、手を加えて、
自分の身体になじむカタチになんでもしていく。

どんなモノも身体の延長のよう。
こうやって、モノとも接するから、モノとの距離も近くなって、
モノに魂が宿ってくるのだろう、と思った。

それから、ダイキ君のメールの中に、こんなことも書いてあった。
「 宮大工って言っても所詮大工です。
 寺社を訪れた方全員に感動してもらえるような物を
 残すことが仕事です。
 バトンリレーみたいなものですかね?!」、と書いてあった。

このセリフを聞いて、
うんうん、と嬉しそうに目を細めてうなずく太の姿が浮かぶ。

大工道具たちの受け渡しが終わって、
太からダイキ君へのバトンリレーも、
無事に終了したんだなあ、と思った。
道具だけでなく、
スピリットも、ちゃんと血筋に受け継がれていった。

私にとっても、この受け渡しの経由に関わったことで、
太とまた近づけて、ダイキ君ともきっとすこし近づけた。

ほわっと胸があたたかかくなって、
なぜかすこし誇らしい気持ちになった。

DSCN6469_01.jpg
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「太の道具が教えてくれたこと。「大鋸」(おが)  その3」
「モノを大事にしたらモノも喜ぶ。
生きものとモノの境目はなにもないよ。
あるのは、それをつかっている人の気持ちしだい。」

***

これは、木挽きをしてきた太が亡くなる前に言っていた言葉。

***
木挽き(こびき)というのは、
木材を「大鋸」(おが)を使用して挽き切ること、
およびそれを職業とする者のことをいいます。
そして、
「大鋸」(おが)というのは、大きいのこぎりのことです。

***
いま、私の部屋で、ひときわ大きな存在感を放っているのが、
太が作った「大鋸」(おが)たちだ。
太のスピリットが凝縮している。

これは、本当に素晴らしい作品だと思うので、
きっとおさまるべきところにいつか行くものだろうけれど、
それまでは、うちの守り神(笑)


太が「木挽き」というものに目覚めたのは、
ニセコの大工の親方のところにあった1本の「大鋸」(おが)に
出会ったことから。
いぶし銀のはがね、使い込まれて年季のはいった柄(え)、
こういうしぶいカタチに
ぐぐっと魅せられたのではないかとおもう。


一本の大木を、どうやって挽けば最も美しい面がとれるか。
木挽きは木を読み、一丁の大鋸でそれをこなす。

木挽きをしていく中で、
太の感覚は、どんどん研ぎ澄まされていくようだった。
木の目を読み、木と対話し、オガを動かしていき、
そして、始終目立て。
この目立てというのが、またとても大事らしい。


「よくもまあ、そんな単調な動きばっかり何時間もして、
飽きないの?」、って
太に聞いたことがあったのだけれど、

「ぜんぜん飽きない。あっという間に夕方になっちゃうんだよ。」
という答えが返ってきて驚いたことがあった。


私の目に映る世界では、単調にしか見えなかったのだけれど、
太に流れていた時間は、とても濃密だったということ。


太が亡くなる前に教えてくれた言葉は、
木や道具と長い時間接して、たどりついたものだったんだろうな、
と、今ごろになって気づく。


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「太の道具が教えてくれたこと。その2」
太の大工道具が、この部屋からなくなると、
太の気配が、ぐっとなくなる。
私は、それがきっとすごくさびしくて、そうなりたくなくて、...
いつまでも、手をつけずにいたことのかもしれない。

それから、もうひとつ。
「道具の写真を撮らなきゃ」って、
自分をしばっていたことにも気づいた。
「太が生きた証を私が残さなきゃ」、
って気負っておもいこんでいた。

でも、
太はきっと、そんなことはちっとも望んでないはずだ、
って思った。
「しなきゃ、とかで動くことなんてしなくていいよ、ひろみ。」
「それより、もっとひろみがしたいことしてくれた方が
オレはうれしいよ。」って。
と、いう声が聞こえたような気がした。

それに、私ががんばってしなくても、
太のスピリットのかけらは、
甥っ子のダイキ君にちゃんとパスされて、
育っていっていることに気づいたから。

がんばってやらなくても、ちゃんと自然にそうなっていっている。

それから、私は、
自分で課しちゃったプレッシャーに
いつも勝手にあっぷあっぷしていたことに
はたと、気づいた。
そういえば、
昔からなぜか、「しなきゃ」って思うことで、
行動をいつもしてきていた。
たとえば、「朝だから起きなきゃ」とか、
「出かける前には、トイレにいっとかなきゃ」、とか。

でも、
「朝だ!起きよう!」、でいいんだよな。
それに
「太が生きた証を私が残さなきゃ」、
なんて気負わずにいいんだな、

でも、もしすごくやりたくなったらやればいい。
そのときはきっと、なんにも考えなくて楽しくやっているはず。

「ひろみ、肩の力ぬきな。」
また、こんな声が聞こえてきたような。

上にいる太は、どうやらいつも一緒にいるみたいだ。


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「太の道具が教えてくれたこと。その1」
いま、太の大工道具を太の甥っ子のダイキ君に送る荷造りをしている。

ピカピカに研かれたノミや、カンナ。
太は、大工仕事から帰ってきて、夜ごはんを食べてから、寝るまでの時間、
使った道具を夜遅くまで毎晩、台所で研いていた。

「写真にきちんと撮ってから送ろう、そして、自分の気持ちの整理がついたら送ろう」、
と思っていたけれど、この2年間、写真を撮る気はぜんぜんおきず、
そして、気持ちの整理もつかないまま、時間は流れていった。

でも、空気が秋めいてきて、
ふと今日、
「よし、荷造りしよう!」という気持ちになった。
「写真を撮らなくてもいいから、もう送ろう!」って。

太と、亡くなる前の日の夜中にたくさん話をした。
その中で、
「大事な大工道具は全部ダイキにね。」と言っていた。
すごく高価なものではないけれど、
こだわりの太が、こつこつと選びながら、
ひとつずつ集めていっていたものたちだ。

ダイキ君というのは、太の一番上の甥っ子で、
ものづくり大学を卒業してから、京都で宮大工の会社に入った。
太はこの甥っ子をとても大事におもっていた。
もちろん、姪っ子たちのことも同じようにだけれど。

ダイキ君は、太がドームハウスを建てているときや、木挽きをしているころ、
ときどき、ニセコに遊びにやってきた。
そして、夜な夜な、お酒を飲み交わしながら
太に「道具っていうのはな、」とか「木挽きっていうのはな、」、とか、
熱い話を聞かされていた。

太が亡くなった後に、
ダイキ君から、
「宮大工という仕事を選んだのは、太君の影響が大きかったんだよ。」、と聞いた。

太のスピリットのカケラはこうして散らばっていったんだな、って思った。

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