WINDVANE

日々思ったこと、感じたことをつれづれなるままに。
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太の死
後から人に、
ずっと看病していたのだから、「覚悟していたでしょう」、
と言われたけれど、

私は最後まで、太が死ぬとはまったく考えていなかった。
死ぬ、ということが頭の中にぜんぜんなかった。

抗がん剤も効かなくなっていたし、
苦しそうな様子をみていたけれど、
それでも、死、というのはぜんぜん頭に浮かばなかった。

「だって、太だよ。
そう簡単に死ぬわけないよ。
奇跡だって起こるはず。」って、信じ込んでいた。

でも、亡くなる数日前から
肺炎を起こし、どんどん呼吸が苦しくなっていった。

酸素マスクをして呼吸を確保するのも苦しそうで、
ベッドに座っているのもつらそうになってきた。

太は先生に、
「モルヒネをうちましょうか?」
、と聞かれても、首を横にふって耐えていた。

でも、
ほんとうに、どんどん苦しくなってきて、
とうとう、モルヒネをうつことになった。
太よりも、まわりのみんながつらそうな太を見ていられなかったからだ。

モルヒネをうつと、痛みが麻痺する。

わたしは、もう何日も何時間も太の手や体をさすり続けていた。

太はわたしに、
「もう電話もメールもしないで。どこにもいかないて。ずっとそばにいて。」と、言った。

ほんとうに、太は心の底から、わたしにそばにいてほしかったんだとおもう。
もちろんわたしもいたかったのだけれど、
その想いは、
わたしより太のほうがずっとずっとつよかったはず。

なぜなら、
太は自分の命が、ほんとうにあとわずかだったことがたぶんもうわかっていて、
わたしは
まだほんとうに太がいなくなる、ということがわかっていなかったから。

これは、とてつもなく大きな違いだ。

太は亡くなる前日に、
「ひろみ、爪きりとって。」と言って、自分で丁寧に指の爪を切って、
「頭がかゆいから、看護士さんに、体をふくタオルもらってきて」
、と言い、頭や体を気持ちよさそうに、看護士さんと太母にふいてもらっていた。

そして、太は、
自分の分身のミミーの到着を待って、
ミミーに会って、ちゃんとお別れをして、

太とミミーとわたしで最後になる家族写真をとったあと、

太が自分で酸素マスクを外して、
「もういいから。」、と言って、
わたしの腕のなかで、みんなに見守られて、
ほんとうに静かに、自ら死んでいった。

後から考えたら、太はもうぜんぶわかっていたとしか思えない。

ところが、
わたしは、太が死んでいくということを、目の当たりにしても、
起きてることがさっぱり理解できなくて、
理解したくなくてなのかもしれないが、
呆然としてしまった、





呆然とする中で
ふと浮かんだのが、

「ああ、やっぱり人って死ぬんだ。」

ってことだ。

そして、
「人が死ぬってなんてあっけないんだ」、って。


そのときの気持ちを言葉にするのはとても難しいのだけれど、
かたくなに
太が死ぬわけないと思い込んでいたし、、
奇跡というものが本当に太なら起こってもおかしくないって思い込んでいたからこそ、
よけいにそれがあっけない、とおもったのかもしれない。

でも、
よくよく考えてみると、
ブッダが亡くなったのも、キノコの食中毒が原因だった(?)って
聞いたことがある。

あのブッダの死でさえ、そうだったなら
人の死というものは、案外あっけないものなんだろう。

私は本当に、「死」というものをわかってなかった。

祖父母を亡くしてはいるが、
実際に見取ってはいず、人の死に立ち会ったことがなかった。

人の死を体験したことがなかった。

死というものは、
誰にでもやってくるもので、当たり前のこと。
これを頭では理解していても、
ほんとうのほんとうにはわかっていなかった。


RIMG0152_太と博美の手

DSC_7863_教会の扉
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